8. 不安~希望の第2ラウンド

順天堂大学附属順天堂医院には、がんセンター同様全国から多くの患者が紹介状を手に集まるが、とりわけ食道・胃外科は近年食道癌の手術件数ががんセンターと例年全国でトップを争うほどの実績がネットや雑誌で報じられている。
従って、入院が決まってもベッドがあくまで一ヶ月位待つのはざらだそうで彼女の場合も、結果としてちょうど一月待たされることになった。
入院待ちの間、通院しながらがんセンターで受けたものとほぼ同じような各種検査を受けるのだが、彼女の場合、その間もどこか他の病院に入院する必要があった。
通院する上で体力的な負担を避けたかったし、何よりも癌そのものと放射線治療の影響で食事が取れない状態になっており、充分な栄養を取るためにIVH(中心静脈栄養)に1日中頼らなければならなかったからだ。鎖骨辺りからカテーテルを胸の静脈を通して心臓近くまで入れ点滴をするので腕や脚からの点滴に比べ栄養摂取量が格段に多いこのIVHは、在宅でもできないことはないのだが、彼女の場合、癌とその周辺リンパ部辺りの胸部痛が出てきており充分なケアが望まれた。

昨年(2007)1月下旬に、四谷にある胃腸病院(注:これ、病院名です)という順天堂の提携病院に入院した彼女はIVHや痛み止めの処置(座薬やデュロテップなど)をしてもらいながらX線、内視鏡、頸部・腹部超音波検査やCT検査を受けに順天堂に通った。
100年以上の歴史を有しその昔、夏目漱石も胃潰瘍で入院したという胃腸病院のスタッフの皆さんには、本当に感謝の気持で一杯である。
順天堂の医局ご出身の先生が多く、特に担当のK先生には癌のいろいろな治療法について私がネットで調べてきたことや疑問点に対してお忙しい中でも親切にご回答頂いた。
私は、癌など重篤な病気になったらまずこの先生に診て頂きたいと思っているほどお若いけれど病気ではなく病人を診て下さる先生とお見受けした。
とまれ、がんセンターの医師の印象が前回述べたようなものだっただけに、この胃腸病院での静かで心温まる一ヶ月が彼女の精神的な安らぎを少しは取り戻してくれているように感じられた。


「先生、検査をもっと早く済ませて抗癌剤を始めてくれませんか!?」

私は、いつ、癌が大動脈を破って吐血するかもしれないという恐怖から順番待ちをしながら各検査を行っていく日々の苛立ちに耐えかねて、担当医に電話をした。

「これでも、病状の緊急性を考えてかなり検査は、内容をはしょっているんです。
検査後でなければ抗癌剤治療も開始しません。
私たちは、暗い坂道をライトを照らさずに降りていくようなことは、しないんです。」

まさに仰る通りだと、虚しく私は電話を切った。
全国から、私たちと同じ気持ちで大勢の患者が救いを求めて来ているんだ。
待たされるのも皆同じなんだ、ここは万一が起きないことをひたすら願って辛抱強く待つしかないと思うことにした。

しかしながら、とても長く感じられるこの間、何も治療をしないでいるということにどうしても耐えられない私は中国の抗癌剤「天仙液」が健康食品として入手できることを知り高価ではあったが急ぎ取り寄せ彼女に飲ませたりしていた。
少しでも手術実現の道に近づきたい一念からだった。

前に書いたように食道癌が発覚した当初、様々な癌に効くと言われる健康食品を購入し彼女に服用させていたが、中国政府公認の抗癌剤というふれこみのこの天仙液には多少期待はしたけれども「どれだけの効用をもたらすのか」とかは問題ではなかった。
何かプラスになると信じることをさせることで精神的な安心からくる免疫力アップにつながるだけでもいいんだと思っていた。
セカンドオピニオンでお目にかかった梅澤先生はこれら健康食品についてそれだけでは癌は治せないが免疫力アップなどの効果はあるだろうと仰っている。
彼女ががんセンターでの抗癌剤治療の際、あまり副作用に悩まなかったのも多少の健康食品のご利益があったかもしれないと思うが、あくまで推測に過ぎないし、私たちの場合「溺れる者藁をも掴む」結果の行動であったことを、念のため申し添えておきたい。

また、私はがんセンターでの教訓から順天堂で抗癌剤を投与してもらっても、万一、手術不能となった最悪の事態に備えて「がん難民」とならないための「次のシナリオ」を用意しておく必要があった。
彼女が罹患して半年が過ぎようとしていたこの頃、自分なりに我が国の癌治療の実態がわかりはじめていた私は、最悪の場合は、前に述べた高橋先生梅澤先生らが行う副作用の少ない低用量の抗癌剤治療(休眠療法)と「樹状細胞療法」などの免疫療法を組合わせてその後の治療を進めようと決めていたのでセレンクリニックに私だけ出向いてセカンドオピニオンを受けたりしていた。


胃腸病院に入院して3週間が過ぎようとした頃、順天堂で最後の事前検査であるCT検査が行われその2日後、順天堂の担当医より胃腸病院のK先生に電話が入った。

「T教授以下で検討した結果、抗癌剤投与は必要とせずに手術可能」とのことであった。

伝えるK先生の前で、恥ずかしさも忘れベッド上の彼女と隣の私は嬉し涙にくれた。
(手術不能、余命半年宣告をした)がんセンターのxxx医師に勝った、と彼女が呟くのを私は聞いた。

こうして、更に1週間のベッド待ちを経て2007年2月下旬、順天堂医院に手術入院したのである。

-次回に続く-

注:このブログで述べられる筆者の意見や提案は、あくまで私たちが患者として体験してきた事やネットや書籍で知り得た事をもとにしているに過ぎないものであることをお断りしておきます。

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