彼女は、2007年2月20日過ぎに四谷の胃腸病院を退院して、その足で順天堂医院に入院した。
部屋は食道胃外科のベッドが空くまでとりあえず7F小児科/形成外科病棟になる。すぐに、栄養点滴と各種検査が開始された。気分が悪く、倦怠感があるので痛み止め座薬を1日2回に減らした。
先生には肝機能低下を指摘された。
一方、私が記録していたこれまでの治療記録を参考までにと先生に渡したが、そこに書かれていた天仙液などは一切中止するよう言われた。
以下、経過を箇条書きにしていく。
2日目
婦人科検査、動脈採血等行う。スーフルを使った呼吸練習を開始。倦怠感は変わらず続いていた。
手術日が3月初日に決定。
3日目
採血。大腸の注腸レントゲン検査。気分、倦怠感昨日より若干おさまる。
10Fの食道胃外科病棟に移動。
5日目
先生にセレンクリニックの書類(癌組織の保管依頼)を渡す。前回、記した樹状細胞療法を受ける場合、患者本人の癌細胞を抗原にする必要があるからだ。
これから、根治を目指した手術をしようという先生方には良い印象を持たれないとは思ったが敢えて図々しくもお願いした。
6日目(手術2日前)
午後、超音波内視鏡検査。
18:00 執刀医のT教授から約1時間手術説明があった。
CT画像を見せながらの現状説明や手術内容、術前術後の注意事項等詳しくお話された。
手術時間は約7時間、食道切除後の再建胃管は胸骨後ルートになること、縫合不全の確率や輸血の説明などとてもわかりやすくかった。
また、術後は1週間ICU(集中治療室)に入り、その後一般病棟に戻り全粥、5分粥、普通食の食事訓練を経て2週間(術後3週間)で退院できる見通しであるということだった。
同席した身内の者皆が先生に祈るように深く頭を下げ、
「くれぐれも宜しくお願いします」と申し上げた。
「まかせておきなさい」とは先生は仰らなかったが、
「うんうん」と頷かれたその姿は食道癌執刀件数が1,000件をはるかに上回っておられると聞いていただけにとても頼もしく感じられた。
8日目(手術当日)
07:30 身内や彼女の親しい方々が集まり本人と面会した。
08:30 4F手術室へ。
10:00~17:00 手術。術後T教授から切除した食道を見せられながら説明を受けた。
心臓、大動脈への浸潤部分が切除しづらく何度も手術を中止し撤退することを考えたが、何とか癌を剥離し食道を切除、胃管の再建を達成したとのことであった。
切除した癌についていた大動脈の跡筋がなまなましかった。
ただし、取り残しもあるかもしれないので、再発の可能性は否定できない。
また、原発病巣の癌は腐敗しており樹状細胞療法用にお願いしてあった癌組織の採取は無理であったとのことだった。
大手術を敢行した先生は何故か怒っておられるようだった。癌そのものに対してか、放射線化学療法でこの状態にまでしたがんセンターに対してか、患者や我々に対してかはわからなかったが・・・。
18:30 ICUで本人と面会。既に人工呼吸器は外されており意識は半分以上あり、痛みを何度も訴えていたし、様々なカテーテル(管)が何本も身体に入れられているのが可哀そうだった。
19:10 ICUを家族退室。
9日目(ICU 1日目)
痛みを訴える以外は、容態は安定。会話も可能だった。
ICUにいる間は毎日T教授が回診して下さっているようだ。
10日目(ICU 2日目)
痛み以外、容態は安定。
11日目(ICU 3日目)
容態は安定。車いすに座る練習を開始した。痛みもやや落ち着いている様子だった。
また、術後は痰が出やすいと説明されていたが彼女の場合もあまり出ず、結局その後も痰で悩むことは無かった。
12日目(ICU 4日目)
苦痛を訴えながらも車いすに乗る練習。着席時間は1時間。
左肺の胸水が溜まっているため、16:00に局部麻酔後、注射で抜き取りを行った。
手術以来、夜、熟睡できないらしい。ただ容態は変わらず安定していた。
13日目(ICU 5日目)
鼻から入れたチューブ等少し抜けたので、機械設備の少ないベッドへ移動。
車いす練習1時間と歩行練習を少し行う。容態は安定。
14日目
午後、ICUから予定より早く10F病室に戻った。廊下をトイレまで往復2回歩行練習。
血液検査の結果、炎症がどこか疑われるので抗生物質が点滴に入る。
痰の吸い取り器具の説明があったが、ほとんど出ないので使うことも無かった。痛みは辛いが容態は変わらず安定している様子だ。
15-16日目
術創の痛みは強いようだが、日毎に自力で動けるようになっている。終日がんばって歩行練習。
17日目
午前、胸に入っていたリンパチューブを外す。これで身体に残されたチューブは2本のみ(栄養点滴と胸水用ドレン)。終日歩行練習。
18日目
終日歩行練習。容態は安定。痛みは肋骨からくるものだろうか(手術の際、術野を確保する為に肋骨を脱臼させるらしい)
先生に輸血はどのくらいしたのか聞いてみたが、出血が少なかったので全くしなかったとのこと。手術の技術にあらためて驚かされた。
19日目
午後、バリウムで胃管の通過テストを行った結果、OKとのことで、翌日から流動食が開始されることになった。
20日目
朝は飲水、昼からおもゆ、汁が始まる。
21日目
朝昼夕3回、おもゆと汁。午後3時にプリンのおやつ。すべて問題なく食べることができた。
22日目
胸部X線検査を受ける。午後、胸水用ドレンを抜いた後、再度X線検査。
昼食から五分がゆにレベルアップ。おかずも1品付き、食べるのに時間はかかるが完食した。
23日目
T教授不在の為K助教授回診。
24日目
担当医から今後の治療説明があった。退院は来週火曜日以降いつでも可能とのこと。そんなに、早くて大丈夫だろうか。
また、術後補助抗癌剤治療を先だって入院していた胃腸病院にて退院約一ヶ月後に行うする予定とのこと。(使用薬剤はタキソテール、シスプラチン、5-FUの3剤)
この日、昼食から全がゆにレベルアップした。間食も食べるようになる。
25日目
栄養点滴用チューブを抜いた。これですべてのチューブとサヨナラした。順調だが尿が少ないので水分を意識して取るようにする。
26日目
食欲が旺盛で、体重も40.5kgと術前と変わらない。初めて、肩まで入浴したが貧血気味になる。ダンピングは殆ど起こらず、今日は便秘状態であった。
29日目
朝、めでたく退院した。次回外来診察は2週間後と先生に告げられた。
食道癌手術を受ける人はもちろん家族も経験や知識が無い場合が多いわけで、当然不安が募ってくるものである。
私も彼女の手術前はネットで様々な方々の体験記を読み少しでも参考にしようとした。
もちろん手術を受ける病院や執刀医によってその手法が異なるものと思われるし、患者の状態も千差万別であるので上記の手術経過はあくまで1患者のケースとして参考迄にして頂ければと思う。
ただ、これから手術を迎える方々が、わずか40kgしかない華奢で気弱な彼女が紆余曲折を経て、手術にチャレンジしたことを知って頂き少しでも勇気づけられることになればと切に願う。
-次回に続く-
注:このブログで述べられる筆者の意見や提案は、あくまで私たちが患者として体験してきた事やネットや書籍で知り得た事をもとにしているに過ぎないものであることをお断りしておきます。
コメント
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胸がつまるような思いで読ませていただきました。
夫の場合は手術のみでしたので、17日間の入院で退院できましたが、ICUから術後管理室、そして一般病棟へ・・・その間の本人の痛々しい姿や日々の快復、家族の祈るような思いなど、まざまざと思い出します。
Gセンターのある医師は、「手術かケモラジか(選択できて)悩んでいるのなら手術すべきだ。」ときっぱり言いました。双方のメリット・デメリット、治療後の問題など、具体的に知ることができたのは幸いだったと思いますし、今現在検討している方たちは、しつこいほど医師に話を聞くことをおすすめします。
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その画像をみてないのでなんともいえませんけど。
挑戦する外科医にめぐり合えてよかったですね。
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ケン三郎先生のブログに登場する大ボス先生も同じ信念の外科医だと思います。もちろん、ケン三郎先生も同様だと思います。
治療を受ける病院の選択も難しいですが、同じ施設でも様々な先生がおられ担当医とのめぐり合わせで、随分闘病生活が変わるように思います。
ところで、がんセンターでのケモラジが終了して一ヶ月後に手術不能と判断されるほど増大した癌が更に一ヶ月して手術適応と判断されるくらい縮小するってあり得るんでしょうかね。
放射線の効果は時間が経つほど出てくることがあるとは聞いていますが、最後は術者の見立てなんでしょうけど・・・。
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私の知る限りはすくなくとも縮小することはありません。
あとはお察しください。他の施設で実際に手術してとれない
って言われたのに、こちらで周辺臓器も合切すればとれた
という症例は経験ありです。ただ合切しても予後はあまり
代わらないという意見もあるので、それでも治る可能性
を信じて手術をする外科医がその施設にいるかどうか
だと思います。5例やって5例ともダメでした、じゃあ6例目
も同じかどうかはわかりませんよね。。。
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はじめまして、私のオット50代前半は国立がんセンター中央で
昨年亡くなりました。
食道癌でたった7ヶ月の闘病でした、Ⅱに近いⅢでしたのに。
今でも悔やまれてならないことがあります。
最初の選択肢の提示の時に外科医の先生が
「手術で30%根治、ケモラジで30%根治です、選んでください」とおっしゃったのですが、つけくわえて「この統計でケモラジは手術に耐える体力の無い方たちが入っているのでいくぶんケモラジのほうが・・・・」と濁されたのです。
食道癌の手術がたいへんな事は調べてわかっておりました所へ
こんなお話を聞けばケモラジに縋り付くに決っています。
手術をしていれば今でも生きていたと言う保証はありませんが
オットが自分が長くはないと告知された後、「1%でも手術のほうが
根治率が多いよといわれれば手術にふみきったのになぁ~」と言った言葉が
今でも頭から離れません。
癌だとわかった時、治療方針を速攻決めて前に進みたいと言う気持ちが
もう一歩調査すると言う手間を省いてしまった後悔です。
オットの場合は残念な結果になってしまいましたが
奥様の件応援しております、きっと大丈夫です。
結局私どもはこのひとつの病院で始まり終わったわけですが
国立がんセンターの緩和ケアの対応は非常に良かったと感謝しております。
ただ、もっとたくさんの先生の意見を聞けばよかった・・・。
追記、ケモラジ後、効果が無く大動脈側に広がり癌性髄膜炎を併発しあっけなかったのです。