2012年、食道がん(ステージ3)に罹患し、奥さんと共にさまざまな治療法をインターネットで探した末に陽子線治療を知り、手術をせずに治療した作詞家で作家のなかにし礼氏。以下は、日本記者クラブで会見し、自身のがん治療体験を語ったご本人の話である。
日本のがん治療は「たたく」「切る」「当てる」が“三種の神器”と言われる。抗がん剤でがんをたたく、手術で切る、放射線を当てる。心臓に持病を抱えるなかにし氏は、手術が心臓に与える負担の大きさを考え、切らずに治す道を望んだ。
万全を期すため名医に次々と会う。“ゴッドハンド1号”氏いわく「抗がん剤の調合にアーティストのような医者がいる。紹介しよう」。同2号氏は自信満々に「切るしかない」。なかにし氏は「ちょっと待ってくれ」とたじろぎ、別の選択肢を模索した。
切らずに治す病院を探して入院するも、放射線と抗がん剤が体に与えるダメージも大きかった。心臓に発作が生じるのではとの恐怖感にもかられる。こちらも受け入れられないとなり、いよいよせっぱ詰まり、「死」も感じた。歌謡曲もベートーベンもモーツァルトも慰めにならない。心の支えになったのは旧ソ連・スターリン政権の抑圧下で苦労して生き延びたショスタコーヴィチの音楽。さらに、頭をよぎったトーマス・マンの小説「魔の山」の一節で覚醒し、がんと戦い抜く決意を固めた。
当初は手術を勧めた夫人とともにiPadを駆使し、新しい治療法のある医師・病院をネット検索で探し回る。新興のクリニック、漢方…。目を真っ赤にしながら検索を続けた夫人がある日、「こんなものがある」と見つけたのが陽子線治療。日曜夜のことだった。週明けすぐに病院を絞り、治療へ。巨大な機器を使用する陽子線治療では、1人の患者に医師ら26人のスタッフがついた。治療の肉体的負担も少なく、1か月後に胃カメラで検査したところ、食道はきれいだった。
なかにし氏の成功体験で、陽子線治療の注目度は一気に高まった。これには後日談がある。“ゴッドハンド”氏の1人に、「先生はがんの専門ですよね。何でも知ってますよね。陽子線があることも知っていたんでしょ?」と問いかけた。答えは「知っていた」。さらに「なぜ、心臓が悪くて切れないという僕に手術を勧めて、陽子線は勧めなかったんですか」と尋ねたところ、「それは仕方ない。うちの病院にはないから」との言葉が返ってきた。
「これはブラックジョークだと思いませんか。有名な先生ですよ」
「陽子線は、陽子線治療の施設を持っていない病院では誰も勧めないということ。医療もビジネスであるということの端的な答えであるということ。医者も組織を守る人間で、出世を望む普通の人間であるということ。それらのことが、この言葉に端的に表れていると思う」
なかにし氏が陽子線治療を受けた病院は、皮肉なことに、かつて家人に放射線・化学療法を施した後に「手術不能、余命半年」と宣言して放り出した国立がん研究センター東病院である。
彼女が罹患した当時、食道がんは陽子線治療の適用外だった。かなうものなら、たとえ保険外費用が300万円かかろうとも何とか工面して挑戦したいと思っていただけに、歓ばしいはずのなかにし氏の生還を、私自身は複雑な思いで受け止めていた。
それはともかく、大事なことは、有名人のなかにし氏だから陽子線治療が注目された云々なのではなく、氏が語っているように「自ら徹底的に調べた上で治療法を選択すること」がいかに重要かということだ。嫌われようが面倒がられようが、納得の行くまで複数の医師にオピニオンを求めることだ。そもそもそれに対して嫌な顔をするような医師とは勇気を持って早めに決別するべきなのだ。
なかにし氏の言う医師の「ブラックジョーク」、すなわち医者や病院の都合にそのまま身を任せているととんでもないことになりかねないということを肝に銘じておかねばならない。
-自らの闘病体験を綴ったなかにし礼氏の著書-
食道がんに関する新聞記事